今回の記事では、”理解”という言葉の意味について考えてみることにした。物事を考えるにあたり、自分がどの程度その物事を理解できてるのかという、”理解度”は非常に重要だからである。
理解という言葉の意味
理解とは何か。理解とは、全体の各部分を知ることだと僕は考えている。例えば、パズルを思い出してみるとわかりやすい。パズルは完成図が見えているが、ピースはバラバラに存在する。そしてパズルを完成させるためには、ピースがそれぞれ全体のどこに位置するかを”理解”しなければ完成させることができない。つまり、部分を理解することが全体の理解につながるということになる。そして、言葉の定義や概念を理解しようとする時にも、パズルを完成させるのと同様のアプローチをする必要がある。
パズルも概念も理解するプロセスは同じ
例えば、国という言葉を理解するためには、国という概念を一度バラバラにしなければならない。”バラバラにする”というのは、国という概念の具体例を列挙する事なのだ。そして、国の下位概念である、日本、アメリカ、ドイツといった具体例といったピースを繋ぎ合わせていく。最終的には、具体例の共通点を探し、幾つかの条件を有したものを”国”というわけだ。国という概念がパズルでいうところの完成図なわけだ。
また、理解の程度を測るとき、物事と物事の関係性、事象と事象の関係性にも注意しなければならない。例えば、”計算”という概念を理解しようとするとき、『1+1=2』という理解は部分的に間違いではない。というか、正解である。しかし、ここに『1±1=±2』という新たな情報が出てくると、前者の回答は間違いではないが、後者に比べ細部の理解であったことに気づく。それが、”理解が部分的”と述べた意味だ。
概念をどう捉えるか
つまり、ある概念を理解しようとする場合、その概念をどう捉えるかよってその理解度は変わってくると言える。どういう事かというと、”足し算”という概念を理解しようと思うと、『1±1=±2』は除外されるが、”計算”という概念を理解しようと思うなら必要な情報ということになる。故に、『1±1=±2』という新たな情報が提供されることによって、”計算”という更に俯瞰した枠組みに気づく事になる。
だから、言葉を定義する
であれば、物事を考えて理解しようとする場合、ある程度の線引きをしないと、その実態を捉えるためには膨大な時間がかかってしまう。故に、その線引きをするためにも、テーマとなる概念を最初に定義しておく作業が大変重要になってくる。先の足し算の例で言うと、足し算とは、”ある数字にある数字を加えた計算のこと”・・・という様な感じで言葉に意味を与える。これは逆説、「足し算には、引き算は含まれない」ことを意味する。つまり、”定義するとは=目標物を設定する”ということだとも言える。
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