初めまして。Ryo(@Ryo_lifehack)です。
初のブログ投稿です。
このエントリーでは、自己紹介がてら、“なぜコミュニケーションをテーマにしたのか?”、”なぜコミュニケーションをとる必要があるのか?”これらの問いの答えを今回の記事に綴っています。
この問いを明確にすることで、僕の経験、考え、価値観などを綴る必要があり、僕の頭の中を開示します。それがひいては自己紹介になるからです。
5分とかからず読める記事になってますので、最後までおつき合いください。
目次
コミュニケーションの定義
”なぜコミュニケーションをテーマにしたのか?”
この問いに答えるために、まずは僕なりのコミュニケーションの定義を明確にしておきます。
僕にとって、コミュニケーションとは”自分の感情を満たすための手段”だからです。
どういうことか。この問いについて考えるとき、そもそも”なぜコミュニケーションをとる必要があるのか?”という新たな疑問が浮上しました。そしてそれは、”目的を達成するため”だと言えます。
例えば、コミュニケーションをとる場面を思い返してみると、いずれの場面においても目的があります。恋愛で意中の相手に連絡を取るのは、”その人と恋人関係になりたいから”という目的があるからです。仕事で上司の機嫌をとるのは、”気に入られて昇進したいから”、友人と飲みに行くのは、”愚痴を聞いてほしいから、暇を潰したいから”、という目的があります。
何気なく行われる家族や友人との会話にも”目的”はあるものです。そしてこれらの”目的”を達成したその先には”満足感や安心感”があります。それがつまり、”感情を満たす手段”であると定義した意味です。
感情が満たされれば”コミュニケーション”の必要はない?
ここまでの理屈だと、”目的がなければコミュニケーションをとる必要はない”ということなります。そして、実際その通りだと思います。
”目的達成=感情を満たす行為”であるならば、コミュニケーションを取りたがらない人は既に”満たされている”のかもしれません。逆説ですが、僕のように”コミュニケーションを学ぼう”と思っている人間は、”満たされていない”ということでもあります。
だからもしあなたが何か満たされていないのであれば、”自分の感情を満たすためにコミュニケーションを学ぶことが必要”なのです。
ただし、ここで見落としがちなのは、”感情を満たす”ことこそ重要なのであって、感情を満たせればその媒体は”コミュニケーション”でなくても良いということです。
それでは、”なぜ感情を満たす方法にコミュニケーションを選んだのか?”
この問いを次に考えますが、その前に”感情”について説明を加えます。
負の感情について
わかりやすく感情を数字に置き換えて説明します。
仮に、感情をプラスマイナスの数値で表現した場合、”ポジティブな感情”を”正(+)”、”ネガティブな感情を”負(−)”とすることができます。正の感情とは、”嬉しい・楽しい・快的”といった感情で、負の感情とは、”不快・悲しみ・怒り”などを指し、冷静な状態で感情の起伏がない状態を”0”とします。
以上の前提を踏まえ、人付き合いの場面を考えると、”正”の時ももちろんありますが、”負”の時間帯が圧倒的に多いのです。あくまで僕の場合。
つまり、”負の感情”を生み出している”原因”は、人付き合いなのですからそこをどうにかするしかないということです。そして、それをクリアするために、目の前にある選択肢は2つです。”人と接することをやめる”か”人と接する能力を磨く”かです。
生きづらい社会
ここで話を戻します。”なぜ感情を満たす方法にコミュニケーションを選んだのか?”
その理由は2つあります。1つは、”負の感情を生み出しているのが、人との関わり”であり、
2つめは、”生きる上で人との関わりを避けることはできない”からです。
本来僕は、できることならコミュニケーションなんて取りたくないタイプです。
いっそ放っておいてほしいとすら思います。しかしながら、僕が生き続ける限りそれは無理でした。なぜなら、”生きる”という事は、人と接する事を前提にしています。飯を食うのにはお金が必要です。お金を稼ぐには働かなければいけません。結婚するには相手が必要です。相手を見つるためには行動しなければなりません。その過程で、必ず人と接する力が求められます。
つまり、”完全に人との関わりを絶つことなどできない”のです。
もし、徹底的に人とのつながりを排除できたとしても、人間には”欲”があります。人とつながらなければ”孤独感”という”負の感情”が襲ってくることもあります。その時に、行動を起こすとなれば結局、”コミュニケーション”が必要になります。
しかし、その方法がわからないまま行動すれば、これまで以上に大きな”負の感情”に襲われることとなるでしょう。
だとすれば、
当然コミュニケーションが得意な人は”生きやすく”、苦手な人は”生きづらい”人生を歩まなければなりません。
残念ながら僕は生きづらい側の人間でした。そして、一度は人との関わりを排除する”という選択を選びました。
しかしながら、その道を選ぶことは、”更なる負の感情”を呼び込んだだけで僕の目指すところではありませんでした。結局のところ”人と関わり続ける覚悟を持つ”以外に道はなかったのです。
それでは、人と接するスキルを身につけることで本当にその負の感情が排除されるものなのでしょうか?
負の感情は排除できるのか?
ここで一つ僕が過去に抱いていた”負の感情”に関する話をします。
テーマは、”恋愛”です。これは、誰しもが通らなければいけないステージの一つだと思います。僕の恋愛に関して言うと、大学時代に彼女がおらず、その当時は、”好きでもない人と付き合うのは時間の無駄だ”という確固たる価値観を持っていました。
そして僕をあざ笑うかのように、世の中には、”パートナーがいる=偉い”という価値観が蔓延してるように思います。偉いというのは、”人間的魅力がある”ということなのでしょうが、僕はこの価値観が鬱陶しくて仕方ありませんでした。
それ故に、
”まだ彼女いないの?”
”いい加減彼女作りなよ”
”どうしてできないんだろうね?”
これらの言葉にアレルギー反応を起こしてました。
このセリフを吐いて近づいてくる奴らは、ほとんどが”僕のことを”欲求を満たすための道具”としてしか見ていないからです。悔しさや屈辱感もあり、少なくとも僕にはそう見えました。
はい。生きるサンドバック状態です。なぜなら、往々にしてこの手の人間は別に僕の事なんて心配しておらず、「自分にはパートナーがいて、こいつにはいない」この状況を楽しんでるだけでした。
この事例で伝えたいことは、結局、社交の場にでると、こういう人間と交わることもさけられないわけで、こういう人間が、”負の感情”を引き起こす原因になり得るということです。こんな経験もあり、負の感情をこじらせ、僕は”ナンパ”の世界に飛び込むことを決意しました。
ナンパを通して・・・
上の内容を凝縮すると、僕がナンパを始めた理由は、つまり”コンプレックス”ですね。心理学者のフロイトという人物も”コンプレックスとは、自我を脅かすような強い感情の複合体であり、コンプレックスとの対決が個性化を促す”のだと。
コンプレックスというと気恥ずかしさがありますが、そのおかげで先の”負の感情”にも折り合いをつけることができるようになったと思います。というのも、先の”まだ彼女いないの?”系の質問を今されても、昔の様な感情は湧かなくなりました。
なぜなら、ナンパをしたことで”女の扱いに対する自信”がついたからです。
逆に、そういう質問をされていた時は、”自信のなさ”が負の感情を生み出す人間を呼びこんでいたのではないかと今なら思います。ということは、一番の原因は、”彼女いない=底辺”の様な価値観に飲み込まれていた自分自身でもあります。とはいえ、この刷り込みは簡単に腐食できるものではありません。
ではなぜ恋愛に関する”負の感情”を腐食することができたのか?これは、何百、何千、何万といった女性に声をかけ、食事をし、肌を重ね、時には交際する”成功経験”を積むことが”自信”になったからです。そしてそのプロセスを積み重ねる中で、”その気になればセックスできるし、彼女も作れる”という”能力”を得ました。
つまり、”自分の能力を高めると目標達成でき、その繰り返しが自信を生み、感情に折り合いをつける”というわけです。
ここで重要なのは、目標達成した時に得られる感情は”瞬間的”、そして目標達成を積み重ね、能力を得た時の確信から得られた感情は”長期的”なものだということです。そして、長期的な”自信”こそ”自身”を形成する要素なのです。
生きやすさとは?
もう少しナンパの話を続けたいと思います。一つの例としてナンパを挙げましたが、ナンパ界隈には”凄腕ナンパ師”とか言うカリスマ的な人たちが存在します。僕自身ナンパをしてみて考察すると、”ナンパ”とひとくくりにしても女の子も一人の人間なのだから、相手にによって性格も違えば価値観も異なります。とすれば、誰にでも通じるような”魔法の言葉”などありえません。
ただし、多くの女の子と対峙すると”この子は、Aタイプだな”とか、”この子は、Bだな”とか自分の中で分類分けできるようになってきます。
そうすると、”Aタイプには作戦Xでいこう”とか、”Bタイプには作戦Yだ”的なタイプ別対応が取れるようになってくるわけです。いわゆる”凄腕”は、この振り分けが、”量的”にも”質的”にも凡人にはたどり着かないような域に達した人なのです。
つまり、行動と反省を繰り返し、”洗練された大量のデータベースを蓄えた人”を”凄腕”というわけです。ここで”凄腕ナンパ師”の話をしたのは、僕がそうなりたいいうわけではありません。はい。かっこつけました。少しはなりたいです。
それはさておき、ナンパというのは、一種の人付き合いだと思います。そして、当然ライフステージによって”人づき合いの場も”も変われば”悩み”も変わってきます。
しかし、ナンパであろうがなんだろうが、同じ”人付き合いのスキル”を磨く手段に変わりはないはずです。コミュニケーションを積み重ねることでしか向上しないということです。
10代であれば友達、20代であれば彼女、30代であれば仕事、40代なら家族、老後は近所付き合いととか、ライフステージに合わせて相手も、コミュニケーションの方法も形を変えて目の前にあらわれます。ということは、その時に必要な対応の仕方を身につけていくことが、”生きやすい”自分を演出する方法なのです。
最後に、下記の問いに対する回答を記しておきます。
“なぜ僕はコミュニケーション(人間関係)をブログのテーマに選んだのか?”
改めてこの問いに回答するならば、”生きやすさを追求するため”です。
ツイッター @Ryo_lifehack
コメント
観察。
あなたの観察眼で私のHPを評価して欲しいと思いました。
それが私の役に立つ。
文章やデザインを整えると更によくなると思います。