※この記事は2019年12月に更新されました。
この記事は・・・
- 「そもそも思考停止ってどんな状態なの?」
- 「思考停止って、悪いの?悪なの?」
といった疑問を抱える方に向けて書いた記事です。
思考停止ってどんな状態?
では、「思考停止」がどの様な状態なのか、まずその意味を確認しておきましょう。
辞書上の定義は次の通りです。
自分自身で物事について考え、判断することをやめてしまうことを意味する語
(引用:weblio辞書より)
この定義に異論のある方はそういないと思うのですが、僕としては少し違和感がありました。それが、「やめてしまう」という部分です。
というのも、「やめてしまう」というと、かなり「意識的な判断」がそこにはある様な印象を受けます。
ですが、現実的に「思考停止に気づいてない」ことありますよね?
故にその場合だと、「やめる」というニュアンスそぐわない気がします。
ということは、この「やめてしまう」というのは、「無意識的にやめてしまう場合」が含まれるのか否かどちらかなのでしょうか?
結論は、「わからない」です。
そこで、「思考」と「停止」に言葉を分解して考えることにしましょう。
まずは、「思考」から
考えること。経験や知識をもとにあれこれと頭を働かせること。
(引用:デジタル大泉辞の解説より)
続いて「停止」
動いていたものがとまること。また、とめること
(引用:大辞林第三版の解説)
と、それぞれこの様に定義されていますが、気づいたことがあります。
「思考」は「頭を働かせる」という言葉から、「意識的な営み」であることが伺えます。
一方、「停止」については、「とまること」、「とめること」とあります。つまり、「とまること」は「無意識」によりなされ、「とめること」は「意識」によりなされると考えられます。
したがって、「思考」は意識的になされますが、「停止」することは意識的・無意識的の2経路があるということになりますね。
つまり、先ほど考えたパターンのどちらでもなく、「思考停止」とは、思考(意識的な活動)が意識的にせよ、無意識的にせよ停止してしまう「プロセス」に焦点を当てた言葉だと言えます。
思考停止は悪いことなのか?
そこで、次なる疑問がこれですね。
一般的に「思考停止」という言葉には悪いイメージを持っている方が多い様な気がしますが、本当にそうなのでしょうか?
結論は、ケースバイケースと言えますが、大前提として、それは他人により判別できることではありません。
なぜか?
思考という営みが、「個人の内面に焦点化」された言葉だからです。
ということは、個人の内面的な事象について、「他人が良いか悪いか」を決定することなど不可能なわけです。
したがって、もしそこに「善悪」があるとすれば、それは「本人にとっての善悪」ということになるはずですね。
思考停止が良い場合・悪い場合
では、本人にとって良い場合・悪い場合とはどんな場合でしょうか?
思考停止が「良い」と考えられる場合
先に「良い場合」について考えてみたいと思います。
一般的に、「思考停止は悪」みたいな先入観がありますが、僕はそうは思いません。
なぜなら、常に、頭を動かし続けるとしたら疲弊しますよね?
だから、僕たち人間は、「自分にとって重要なこと」に思考を向けておけばいいのです。
ということは、「これは自分にとって、重要ではない」という判断を下し、「意識的に思考停止」させているのなら、それは「良い思考停止」ということになりますよね?
人の思考リソースは限りがあるのですから、「自分にとって重要なことに意識を注ぎ、そうでない所ではその使用を控える」至極真っ当な意見ではないでしょうか?
思考停止が悪い場合
逆に、「悪い場合」とはどんな場合でしょうか?
これは、「無意識的に思考停止している」場合が挙げられます。
なぜなら、それによって、目的が成し遂げられないことがあるからです。
そもそも、僕ら人間は、何かしらの目的を達成するために「思考」します。
ということは逆説的に、それが達成できるのであれば、別に思考停止していても問題ないと言えます。
なので、目的主義に沿って考えるなら、思考せずにその目的が達成できなかったとすれば、それは自分にとって「悪い」と言わざるを得ません。
そうすると、「意識的な思考停止でも悪い場合があるのでは?」と思う方がいるかもしれません。
ですが、断言しておきましょう。
「違います。」
それは、定点的に見れば、同じかもしれませんが、「長期的に判断を下す材料になりうる」という点で「良い」ことだと言えます。
しかしながら、「無意識的な思考停止」はそうではないのです。
なぜなら、「無意識」ということは、そのことに「気づいてすらいない」からです。
思考停止が無意識的な場合、往往にして、
「どうしたらいいかわからない」
「何も思い浮かばない」
「めんどくさい」
「・・・・(ぼーっとしてる)」
様な場合が多いです。
これは、その様な「思い」に「意識がとらわれた状態」であり、「思考」という営みからは遠のいた状態だと言えます。
したがって、「無意識的な思考停止」は「悪い」と僕は考えています。
以上、いかがでしたでしょうか。
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