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”幸せになるためには頭が悪いほうがいい”という理屈

幸せになるには

なにやら壮大なテーマに足を突っ込んでしまったような気もするが、そのきっかけをくれたのは2ちゃんねるの開設者として有名なひろゆき氏である。


ひろゆき氏は、リンク先の記事内で次のような発言をしている。

渡辺「やっぱり、お金がなくても幸せを感じられるようになったほうがいいですかね。」
ひろゆきさん「頭悪い人のほうがそこは得意なんですよね。
この言葉に対して、昔から頷ける部分はあったのだけど、それはまあ僕に限ったことではなく、誰しも一度は考えたことがあるのではないだろうか。その最たる例が、「あの頃はよかったなぁ〜」と昔の時代を懐かしむことだ。この言葉には、”子供の頃はただ遊んでればいいから楽だった”のようなニュアンスが含まれていると思うのだけど、もう少し俯瞰した言い方をすると、自分の現在と過去を比較すると相対的に”あの頃”の方が”よかった”、つまり、”幸せ”だったということになる。
だが、考えてみてほしい。”今の知能を持ってして、あの頃の遊びをして楽しいのだろうか?”と。それは、人と会話をする際に、共通点や知識レベルが異なると、会話が弾まないのと同様である。つまり、”あの頃に戻って楽しい”と感じれるようになるためには、頭の中もあの頃に戻る必要があるのではないだろうか?
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”頭が良い・悪い”とはどういうことなのか?

で、なにが言いたかったかというと、僕たちは、色々な経験や知識を学び賢くなっているということなのだが、そうなると”頭が良い人”と”頭が悪い人”の違いは一体なんなのか?という話をしなくてはいけないのだが、その答えは”物事の違いを区別をする力”だと僕は考えている。

例えば、潔癖症の人というのは、公共のつり革やらドアノブに嫌悪感を示したりもするが、それはまさしく”自宅のそれらと違うものである”という区別が行われているからだと考えられる。そして僕は、このように、区別する力が高い人のことを、頭のいい人だと述べているわけだ。

頭が良い人は、幸せではないと考えられる理屈

とりあえずは、”頭が良い人”と”頭が悪い人”の定義を理解して頂けたと思うので、続いては、”頭が良い人=幸せではない”と考える理由に触れておくことにする。なんとなく想像がつくかもしれないが、”頭が良い人”というのは、”こだわりが強い人”だと僕は思っている。

こだわりとは、

①心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする。拘泥する。 「金に-・る人」 「済んだことにいつまでも-・るな」
② 普通は軽視されがちなことにまで好みを主張する。 「ビールの銘柄に-・る」

と定義されている。

こだわりの強い人が全て頭のいい人という話ではないが、”頭の良い人”というのもやはりここに含まれるだろう。”気にしなくてもいいことを気にしたり”、”好みを主張する”というのは、”好きなもの”と”嫌いなもの”というように区別が施されているからである。また、区別をしているということは何かしらの理由があるということになるが、その理由を明瞭に語れる人ほど区別力は高い。これが重要なポイント。明瞭に語れるということは、自分が受け入れ可能な物、店、サービス、あるいは自分の友人やパートナーを切り捨てているということにもなる。極端に言えばだが。するとどうなるかと言えば、自分の好きな物や相手を探すのに時間、金、労力を費やすことになるので、生活に苦労するだろう。いわば、自ら自分自身の適用可能範囲を削っていくるのだから、やはり幸せから遠ざかっていると言わざるをえないのだ。

頭が悪い人は、幸せだと考えられる理屈

これは、僕が知能が低い子供達を相手にして仕事をしていることに起因する。知能が低いと言っても、極端に低い子(IQ30)からほぼ健常な子まで(IQ80)幅があるのだが、そういう子の違いを目の当たりにすると”区別力の高低”は、幸福に関連があるように思えてならない。ちなみに、健常レベルのIQは100。

例えば、IQが80ほどある児童は、お気に入りのセラピストがいるようで、それ以外のセラピストのカウンセリングを嫌がるのである。一方で、同年齢でIQ30の子は、セラピストが誰であろうと例外なくカウンセリングを受けるのである。これこそがすなわち区別する力の違いであるが、この2人を観察する限り、どちらが辛そうかと問われれば、それは前者の方だったのだ。つまり、相対的に、後者の方が幸せそうなのである。

ある心理士は、次の様に言った。

「区別ができるからこそ辛いんでしょうね。」

思わず目頭が熱くなってしまった。

区別する力がないのは本当に幸せなのか

だが、ここで鋭い方は思ったのではないか。「区別する力0だったら生活困るだろ」と。まさしくその通りだと思うのだが、また別の心理士は次の様に言う。

「困っているのは本人じゃない。その周りにいる人間である」

なるほど。実に奥行きのあるコメントである。畢竟するに、これも程度の問題になってくる様に思うが、この理論に従うのであれば、区別力0の人間がもっとも幸せなはずだ。そうはいっても、生きることは人と関わることが前提にあるため、周りからのサポートを得るために、最低限の区別力を備えていることが必要になる。そうなると、それ以上の教養や知識を身につけないことこそが幸せへの近道なのではないだろうか。

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