”意図”という言葉の意味に対する理解を深める

意図と言う言葉の意味に対する考察を前回記事にしましたが、2つあった疑問のうち1つが残ったままになってるので、そちらについても言語化しておく。

”意図”という言葉は無意識な言動や行動にも使える言葉なのだろうか?

疑問が生まれた経緯

”意図”という言葉の意味を考えはじめた時、割と早い段階でこの疑問は生まれた。

その背景には、”意図”の活用例を考えたことがある。

というのも、

”意図”という言葉からすぐに”意図的”という言葉が想起されたのだが、”意図的”と”意識的”は僕の中のイメージでは一つのまとまりになってるのだ。

一方、現実的な場面を思い返してみると、人の発言や行動に、本人は無意識的であるが、それらに意図を感じる場面を僕は知っている。

すなわち、イメージと現実との乖離が

”意図”という言葉は無意識な言動や行動にも当てはまる言葉なのだろうか?

という問いの発端になっている。

結論

結論を最初に述べると、無意識な発言や行動に対しても意図という言葉は該当するというのが僕の考え。その理由は、僕がした意図の再定義に沿っているかを考えればわかる。

意図とは、何かをしようと考えてる事柄であり、「何かをしたい」と表現する感情とは区別される。感情は意図に先行して発生し、意図は行動として現れる、その行動は目的を達成するために存在する。故に、意図とは、目的を達成ために存在し、目的をどのように達成するかを考える事柄である。

つまり、意図と目的はセットでなければいけないということだ。別の言い方をすれば、目的がある所に、意図は存在するということになる。人間は意識せずとも、目的に向かうことができるし、それは、自分自身の体験からもなんとなくわかるのではないだろうか。

故に、無意識的な言動や行動に対しても意図は存在すると言える。

無意識的な言動や行動に至るまでのプロセスに目を向ける

無意識にも意図は存在するということはわかったが、ここで一つ注意すべきことがある。

それは、無意識的な意図を捉えようとする場合、それが誰の意図なのかを考える必要があるということ。なぜなら、人間の考えや行動は、周囲の環境に左右されるため、無意識に存在する意図は必ずしも本人の意図とは異なる場合があるからだ。

例えば、僕の場合、車の運転が無意識な意図(手続き記憶)に当てはまる。親から免許を取りに行けと言われたことは一度もなく、それ故、資金的な援助も当然なかった。そのため、自分自身の意思決定で、「車を運転できるようにしよう」と考え、現在に至る。この場合、過去の自分自身の意図が現在の無意識的な状態を作っていると言える。

一方で、言語を話すことなどには、他者の意図が介入していると言える。なぜなら、「どの言語を第一言語として話せるようにしよう」なんて意思決定はできないからだ。これは、ある意味、両親が「英語を話せるように育てよう」と思えばいくらでも変えられるわけで、自分以外の誰かしらの意図が介在してる。

だからこそ、無意識と対になっている意図はそれが誰の意図なのか?目の前の発言や行動が無意識として表現されるまでにどのようなプロセスを辿ったのか想像することが必要なのだ。

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