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いじる・いじられる風潮が嫌すぎて迷惑してる

いじる・いじられる

近年、お笑い芸人やバラエティ番組の影響で、”いじる・いじられる”という表現がやたらと日常に浸透する様になった。そして、いじる人=偉い、いじられる人=底辺、の様な目に見えない風潮が存在する。僕はこの風潮にほとほと迷惑してる。ただ、迷惑してる反面、お笑いの延長にあるこの技術はもはや身につけなければいけない一般常識的なんだとも考えてる。自分の立場や置かれている状況によって、うまくいじられることも、いじることも、そして、それをかわすことも必要であり、それができなければ、ひたすら搾取される側になるからだ。

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バラエティ番組や芸人は自重してほしい

はじめに言っておきたいのだが、僕はバラエティ番組も芸人も普通に好きだ。好きなのだが、過去の経験を振り返ると、中高生の多感な時期は、TVや有名人からの影響をもろに受けやすいく、大人になった今でも、勘違いした輩が、いつ何時もそこから得たルールを持ち込もうとするが、それがまあまあ迷惑なわけだ。

この風潮の厄介なところは、このいじる側になるか・いじられる側になるかによってコミュニティ内のヒエラルキーでどこに位置するかが暗黙の了解で決定されることにある。もしも、いじられる側になろうものなら、そこから抜け出す作業はかなりの苦痛をともなうだろう。なぜなら、多くの人間は、いじられる側に回りたくはないので、いじる側かそれを回避し、そのポジションの人間を固定しようとする。すると、この構造は、多数vs個人となり、”いじめ”の被害者、加害者、傍観者、観衆といった関係にかなり似通ったモデルになるのだ。

いじられる側は惨めなだけ

僕は、学生時代に、いじられることに抵抗がなかったのだが、いじる側の人間がいじられる側になった時の反応を見ることで、いつしか「いじられること=惨めなこと」と感じるようになった。それは、いじられることを「おいしいからいいじゃん」と口では言っていじることを正当化している人間が、いざいじられる側に回ると、”そのことをおいしいと思っているような反応をしていない”これに尽きる。故に、”おいしいからいいじゃん”という言葉を使う人の多くは、いじられる側を宥めるために発しているのであって、すなわち、”いじられたくないから先にいじってやろうという”的な発想に到っているのだと僕は思っている。そういう僕も、見事にその価値観が刷り込まれ、いじられるぐらいなら、いじる側にまわりたいとい今は思ってる。とはいえ、いじるのもいじられるのも面倒なので、理想は、そのやりとり自体に介入したくないというのが本音。しかし、先に述べたとおり、いわば主導権争いの様なその場面は相手の都合とその場の空気次第で無慈悲にも押しつけられることがある。

ではどうすればいいのか?

この惨めな立場に立たないためには、どうすればいいのか?人に関わらないのが一番だが、それができないこともある。というか根本的な問題の解決になっていない。故に、その掛け合いを身につけるしかない。良くも悪くも、人間関係は相互関係によって成り立つ。そして、いじられる側になる人の原因に、言い返さない・やり返さないといった特徴がある。つまり、いじる術を身につけて、与えられたものを相手に返してやるしかない。

もちろん、それを回避することを第一に考えるべきではあるが、いじる・いじられる場面はいつ何時も訪れうる。だからこそ、護身術として身につけておかねばならない。しかし、そんな術は誰も教えてくれない。なぜだかわからないが、誰も教えてくれない。であれば、もはや自分で学ぶしかない。なので、そういうわだかまりを抱えた人には、以下の記事が役にたつかもしれない。

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ただし、スキルを学ぶことで相手からの攻撃への対応力は増すと思うのだが、同時に人を攻撃するスキルもついてくる。人間は力を持つとそれを使いたくなるもので、防衛術として身につけたスキルを今度は、攻撃するために使いたくなるものだ。しかし、これはよろしくない。当然、恨みを買うことになる。故に、武器を使うのは”カウンター”を基本とし、それ以外には明確な意図とバランスを考えながら使うことを僕は推奨したい。

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