珍しく、というか書評で記事を投稿するのは初めての試みかもしれない。
山本七平さん、”空気の研究”
雑感
「とにかく長くてわかりづらい」、「何が言いたいかわからない」というのが僕の率直な感想。僕の集中力が低いのか、文字を読んでると、数秒後にはとにかく意識がすっとんでいく。こんな本は初めてかもしれないなと思いながら、どうにか義務感で読み切ってやった。
ただ、
「何が言いたいかわからない」という中でも、どうにか掬い取れた部分もあったため、内容理解も含め要点をここに纏めておく。
故に、もしこの書籍を手に取る方がいるのであれば、先人としてこの本の読み進め方について指南しておきたい。この本は、概念的・抽象的な部分のみを追い、自分自身の経験と照らし合わせる方法が最適な読み方だとあえて言おう。
”空気”とは
山本氏曰く、空気とは、「誠に大きな絶対権を持った妖怪」だそうだ。そしてこの妖怪は、人に”一定の行動パターンを強いる”ものであり、”非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ判断基準”ということである。加えて、”宗教的絶対性をもち、我々が抵抗できないなにか”なのだともいう。
これだけでなんとなく、わかったような気もするが、いまいちピンとこない。ピンとこないのは、具体例がないからなのだが、書籍に書かれている具体例すらも僕にはいまいち解読できなかった。というより、具体例を読むことにより不可解さが増したとすら思っている。それこそが、冒頭に”概念的・抽象的な部分のみを追え”と指南した所以でもある。
臨在感的把握
山本氏は、空気を説明するにあたり、”臨在感的把握”という概念をことさら強調する。つまりそれだけ重要なキーワードであるわけだが、この臨在感的把握を導入する際に、”空気”を次のように述べている。
”物質から何らかの心理的・宗教的影響を受ける、言い換えれば物質の背後に何かが臨済していると感じ、知らず知らずのうちにその何かに影響を受けるという状態”
そして、この”臨在”を感じるためには、感情移入が必要なのだそうだが、山本氏は、”感情移入”を用いて””臨在感的把握”を次のように述べている。
”この把握が成り立つには、感情移入を絶対化して、それを感情移入だと考えない状態にならねばならない。したがって、その前提となるのは、感情移入の日常化・無意識化乃至は生活化であり、一言で言えば、それをしないと、生きているという実感がなくなる世界、すなわち日本的世界であらねばならないのである”
考察
以上は、山本氏が語る”空気”についてのほんの一部分に過ぎないが、僕の中で、空気とは、思考停止を強いる何かであるという形に咀嚼された。とは言え、僕のそれこそほんの部分的な理解に過ぎないのだろうが、当たり前に存在する”ルール”なんかもこの絶対化にあてはまると考えている。
これも掘り下げていったら「空気」の問題になるんだろうな。
— Ryo (@Ryo_lifehack) 2018年8月2日
そして、この定義から僕の中で想起されるのは、会社員時代のこと。僕は5つの企業を経験しているが、同時に、その企業独特のルールとか用語なんかが存在したことをふと思い出す。いわゆる”社内用語”と言うやつだ。社内用語は、当然その会社でしか通じない言葉なので、これまで当たり前にあったその言葉により持たられれる意味や暗黙のルールは、会社を移れば、あっという間にゴミへと変わるわけだ。
つまり、会社Aでは感情移入の対象だったものが、会社Bでは対象外という事になり、山本氏が述べる”生活化”の身近な例ではないのかと僕は捉えている。
ごくごく考えれば、それが通じないのは当たり前なのだが、それに気づけないという事が”生活化”のはじまりであり、感情移入へと繋がり、それが臨済感的把握をされていくように感じる。