【書評と要約】アクセプタンス&コミットメント・セラピー(act) 第2版

書評

Twitterの企画で今現在この本を読書しているので、その内容と考察を記事にしておこうと思う。本書を手にしたきっかけは、僕がこの書籍の読書会に参加したことである。

そして、基本的に気になった箇所は、Twitterで細かくつぶやいているので、そのまとめという感じで捉えていただければこれ幸い。

第1章 人間の苦悩をめぐるジレンマ

簡単に第1章で書かれていることとまとめると、「普通の人=健康な人」という前提の罠について中心に論が展開されいてるように思う。

「医療は『康こそがノーマル』という前提に基づき、メンタルヘルスの領域へは具体的に、また人間の苦悩という領域にはあいまいにアプローチをしてたきた。その結果、人が苦悩するという状態は、障害と疾病のサインであるとみなされることとなったのである」

(引用:アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)第2版~マインドフルな変化のためのプロセスの実践~p11より)

 本書籍によれば、僕らが生きる社会には「普通の人=健康な人」という前提が蔓延っているということなのだが、まあ、「そりゃそうだろ」と思ってしまうほどに、当たり前のことだ。しかし、だからこそ、そのことに僕たちは気づかないとも言える。また、何事にも言えるが、物事にはコインのように裏表が存在する。

 つまり、「普通の人=健康な人」ということは、「健康でない人=異常な人」というメッセージが暗黙裡に存在するわけだ。そうなると、次なる疑問が舞い降りてくるわけだが、このことの何が問題なのか?ということだ。

 というよりだから何?ってことだが、それは「健康でない人」ほど「健康に執着する」ということである。繰り返すが、僕たちの世界では「健康が正常」なのである。つまり「不健康は変」ということだ。誰だって変人扱いされるのは嫌だろう。だからまあ「変人は嫌だ」⇨「普通に戻りたい」という一見、自然な発想ではあるが、とにかく健康にしがみつくことになるわけである。

 例えば、「不安」や「心配」は良くないことだし、「気分が悪い」ときは「気分が良くならないといけない」し「混乱」にあるときは「まず落ち着く」ということが最優先にされる。つまり、「不安」でありながら、「気分が悪いまま」、あるいは、「混乱しつつも」何かをすることはできないのである。「不安が消えるまで」、「気分が良くなるまで」、「混乱がおさまるまで」何も手にはつかないのだ。これらは、まさしくうつ病とか、不安症とか、パニック症のような診断を下された人たちにあらわれる「症状」だと言えるだろう。そして、このような症状を持つ人たちは、そのことに大変敏感である。なぜなら、そのような状態は「健康でない」つまり「異常」だからだ。

 

だが、本書籍ではこのことについて次のように述べている。

「そういった自己観察や評価をおこなうこと、そして一層自己観察しようということなど、クライエントたちが自らに課すこういったサイクルは、本当の意味での障害の解決策ではない。むしろ、それこそがまさに障害なのである」

(引用:アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)第2版~マインドフルな変化のためのプロセスの実践~p31より)

中々手厳しいが、これがつまりACTで取り扱っていくことの1つなのである。

ACTのアプローチがゴールとして目指す健康的な人生とは、良い気分を感じることよりも、良い感じ方をすることである。快い思考や感情と同時に不快も持っていることは心理的な健康ともいえる」

(引用:アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)第2版~マインドフルな変化のためのプロセスの実践~p34より)

 

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