【書評】横山信弘 著 / 空気で人を動かす

人を動かす 書評

人を動かす

横山信弘 著 「空気で人を動かす」の要約と書評を記事にした。

 

山本七平氏著の「空気の研究」では、

 

空気とは何か?

 

この疑問を明らかにすることに重点を置いていた。一方で、この書籍は、空気を作り出すための方法に焦点を当てている。要は、ノウハウ本だ。空気の研究に比べ、格段に読みやすいので、2〜3時間あれば読了できるはず。

 

ただし、ここでは定義的な話しかしないため、ノウハウに興味がある方は書籍を買って欲しい。

 

 

雑感

 

横山氏は、まず、人を動かす際の空気の重要性について解説している。なぜなら、場の空気とは、集団の価値観・判断基準のことであり、人間の価値観・判断基準は、その場の空気によっていくらでも変わりうる、実に、曖昧なものだからだ。

 

また、その説明のために、横山氏は次のような例をあげている。

ある求職者が、会社の入社前に『残業は悪だ』という考えを持っていたとする。いざ入社して、残業をしてる他の社員に、上司が『頑張ってるじゃないか』と声をかけている姿を見ると、いつの間にか仕事がないのに残業するように感化されていくのだと。つまり、『残業は悪だ』と考えていた価値基準から、歪んでいくのだと主張している。

 

しかし、僕はこの考えに少し違和感がある。正確には、”価値観が歪む”という表現に対して違和感がある。なぜかというと、この求職者は、別に”価値観が歪んだ”わけではないと思うからだ。正確には、『残業は悪だ』という価値観をいまだに持っているけれども、その”空気の力”によって、相反する行動をしてしまっているのだ。歪んでいるのは、価値観ではなく、”行動”なのだ。

 

ということは、空気には、価値観にそぐわない行動を取らせる力があるということになる。だからこそ、”空気”を読んだ行動は”不快感”や”生きづらさ”につながるわけだが、僕がそう確信するに至ったのは、次のような論文もきっかけになっている。

 

場の空気を読む子供たちに関する実証研究

 

 

金子満氏著書の、『場の空気を読む子供たち』に関する実証研究

 

この論文では、他人との衝突を避けようとお互いに「場の空気」 を読み合いながら学校を過ごす生徒たちの生きづらさが問題提起されており、

 

実験終わりに得られた新たな仮説として、

 

「空気を読みあう」ことが日常化してきた現在においてこの「面倒くさい」といった言葉がまさに、若者たちの共通認識を形成しているのでは ないかとの仮説がたてられる。

 

と、述べられている。

先ほどの僕の考えとの照らし合わせをするなら、ここで言う”共通認識”こそ、”空気”であり、”面倒くさい”と思うのは、”価値観と行動が不一致”な状態だからなのではないか?

という解釈になる。

 

 

共通認識=空気?

しかし、共通認識だの、空気だのというものは、目に見えない。

にも関わらず、共通認識が出来上がるのはなぜか?というと、他者や周囲の行動や非言語メッセージからその共通認識ができあがると考えられる。

 

横山氏は、書籍内で次の様にも述べている。

”空気が変わる”ということは、これまで”当たり前”、”普通”だと思っていたことがそうではなくなっていくことであると。

 

つまり、当たり前、普通であったことがそうではなくなった様に思わせるには、行動を変える。少数派だった行動が多数派になるとそれが当たり前になっていく。するとそれが、その場を共有する人全ての価値観であるかの様な空気が生み出される。山本氏風にいえば、これこそが”暗黙のルール”とか、”共通認識”といった目に見えない妖怪なわけだ。

 

 

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