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体験の回避とは〜ACTモデルの1角〜

体験の回避とは

本エントリーでは、アクセプタンス&コミットメントセラピーの6つのコア・プロセスの一つである、「体験の回避」について掘り下げてみたいと思います。

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体験の回避とは

いくつか定義をみてみましょう。

「体験の回避は「体験のコントロール」とも呼ばれ、その様にすることが行動上の害を引き起こす場合でさえも、内的体験(すなわち、思考、感情、身体感覚、記憶)の形態、頻度、状況に対する感受性(situational sensitivity)をコントロールあるいは変容しようという試みである」

(引用:ACTをまなぶ セラピストのための機能的な臨床スキル・トレーニング・マニュアル,p6より)

あるいは

「この種のルール支配行動は、体験の回避と呼ばれ、感情、思考、記憶、あるいは身体感覚をコントロールまたは排除することを目的とした行動、と定義される」

引用:関係フレーム理論(RFT)をまなぶ,p211

また別の定義では

「体験の回避とは、私的事象の形態、頻度あるいは状況的な過敏性から逃れよう、または避けようとする試みで、それによって心理的な危害がもたらされる場合であっても、避けたり逃れたりすることを厭わないものをいう(Hayes et al.,1996)。体験の回避は、抑制と状況の逃避・回避の2つの形態に大別される。」

引用:アクセプタンス&コミットメント・セラピー実践ガイドpp40)

といった表現がされている。

この様に複数の定義を並べてみると面白いのは、「共通している部分」と「異なっている部分」があるということが明確になる。

共通している部分

以上を勘案すると、「私的事象」と「内的体験」というのは、どうやら同じことを言っており、それらが具体的に何を示しているかというと「感情、思考、記憶、身体感覚」ということになると考えられる。

そして、それを対象として「コントロール」だの「排除」だの「変容」だの「避ける・逃れる」という言い回しがされているわけで、どの言葉を使うのが適切なのかがいまいちわからないが、「コントロール」という言葉を用いることにしよう。理由は、もっとも包括的なニュアンスが感じられるから。当然、僕の主観。

そうすると、

体験の回避とは「感情、思考、記憶、身体感覚などをコントロールすることというように簡略化することができ、これこそが各定義の「共通している部分」になるように思う。

異なっている部分①〜体験の回避の種類〜

一方、気になるのが、それぞれの定義で「異なっている部分」である。

第一に、僕が注目したのは以下

体験の回避は、抑制と状況の逃避・回避の2つの形態に大別される。」

引用:アクセプタンス&コミットメント・セラピー実践ガイドpp40)

そう、体験の回避には2つの形態があるという部分。

体験の回避〜抑制〜

まずは「抑制」

抑制とは、望まない思考、感情、記憶、身体的感覚など、ネガティブな私的事象の今起こっている体験をコントロールまたは排除しようとする積極的な試みである。たとえば、アルコール依存症のある人は、配偶者との争いの結果生じた不快感に対して、罪悪感、羞恥心、あるいは落ち込みなどの感情を「麻痺」させるために酒量を増やすことがある。

引用:アクセプタンス&コミットメント・セラピー実践ガイドp39より)

ということですが、この例を三項随伴性で表すと以下のようなことですね。

体験の回避〜逃避・回避〜

次に、「逃避・回避」について。

状況の逃避・回避とは、望まない私的体験の出現に関連すると思われる先行的な文脈的特徴を修正する試みをいう。

引用:アクセプタンス&コミットメント・セラピー実践ガイドp39より)

なんだかこの定義はわかりづらいのでこちらも具体例をひっぱてきました。

うつ状態の人は、自分が退屈で人からすかれてないと考えて、親戚の集まりを回避する。

引用:アクセプタンス&コミットメント・セラピー実践ガイドp40より)

こちらも三項随伴性で表しておきましょう。

こんな感じで整理するとどうだろう?

抑制」は起きてしまった「嫌な気持ち」になってしまったことへの対処であり、「逃避と回避」はそもそも「嫌な気持ち」にならないようにする形式の対処というイメージを持つのが良さそうだ。

異なっている部分②〜ルール支配行動〜

お次は以下の部分ですね。

この種のルール支配行動は、体験の回避と呼ばれ、感情、思考、記憶、あるいは身体感覚をコントロールまたは排除することを目的とした行動、と定義される」(引用:関係フレーム理論(RFT)をまなぶ,p211

そう、「体験の回避」は「ルール支配行動の1種」ということです。

こちらについては、リンク先でを参照して頂くとして、ではこの「体験の回避」を助長するルール(前提)はどんなものかというと「気分良くいることが正解」あるいは「普通の人はみんな健康」のような「健康至上主義」とも言える考え方が僕たちの社会にはあるのだということをACTでは強調しています。

体験の回避はしばしば、社会的/文化的コミュニティによって増幅されている。コミュニティは、健康な人間は心理的な傷つきやすさ(例:ストレス、うつ、トラウマの記憶)など抱えていないという考え方を助長し、こういったネガティブな私的出来事を回避するためにとる必要のある行為を特定するからだ。少なくとも西洋文化では、一般的な社会の焦点は「気分良く感じる分良くあるべきであるばかりか、気分良く感じる権利を有しているのだ!となる。アルコール、薬物、マインドレスな性行為のような回避的解決法は、テレビ番組、コマーシャル、他のメディアでモデルが示され、全般的な“良い気分主義”は文化的に助長されているのだ。

(引用:ACTをまなぶ セラピストのための機能的な臨床スキル・トレーニングマニュアル,p8より)

さて、いかがでしたでしょうか?

今回は以上になりますが、僕はツイッターでも認知行動療法(ACT含む)に関する情報を発信してますので、気になった方は、↓↓ぜひフォローお願いします。

Twitterでの引用

参考書

①臨床行動分析のABC

②関係フレーム理論をまなぶ

③ACTをまなぶ

④アクセプタンス&コミットメント・セラピー実践ガイド

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