悲しみとは何か?
このエントリーでは、”悲しみ”について理解するため、その定義や心理学研究を追ってみる事にした。
イントロダクション
「何でこんな面倒なことしてるんだろ、この人?」
と思われるかもしれないが、その答えは、”他者理解の尺度を作りたかったから”である。これに尽きる。
例えば、「A君は、急いでなくても赤信号を平気でわたるけど、B君はどんなに急いでても絶対渡らない」という事実があったとする。仮に、これらの事実が”責任感”の程度を測る1つの手がかりになるとしたら、B君はA君に比べ、責任感が強いと言えるかもしれない。更にこの比較に自身も加え、「自分は、急いでる時は赤信号でも渡ってしまう」のだとしたら、責任感という観点から言えば、 B君>自分>A君というように、中間型に位置することになる。
この様に、個々の感情を測定する尺度が、性格検査の1つビッグファイブなのだが、それをいちいち他者に実施してもらうのも手間がかかるし、それをやってくれたとしても、情報を開してくれるとは限らない。つまり、ビッグファイブ の様な性格検査は、自分自身の性格特性を測る点では優れているが、日常的な対人関係の中で、相手の性格を測るための尺度としては機能していない。
故に、日常的な環境下で極めて主観的なものであるにせよ、相手を測る尺度があれば、自分が苦手な人、付き合いやすい人、の傾向やその付き合い方をより良いものに変えていけるかもしれない。そういう思いがあり、ビッグファイブに沿った感情を1つ1つ見ていくことにしたわけである。
悲しみについてわかっていること
このエントリーで悲しみについて僕が述べていることは主に2つである。1つは、悲しみの定義。もう一つは、悲しみの種類だ。それぞれの詳細は内容を追って欲しいのだが、回答として、悲しみとは、「執着している対象が失われた時に生じる感情」のことであり、その種類には、”孤独”、”身体的苦痛”、”恋愛の別離”、”家族関係の不和”、”目標達成の失敗”の6つがあるということだ。
悲しみの定義
wikipediaによると、悲しみは以下のように定義されている。
悲しみ(かなしみ、英: sadness)は負の感情表現のひとつ。脱力感、失望感や挫折感を伴い、胸が締め付けられるといった身体的感覚と共に、涙がでる、表情が強張る、意欲・行動力・運動力の低下などが観察される。さらに涙を流しながら言葉にならない声を発する「泣く」という行動が表れる。
出典元:引用 – Wikipedia
僕自身の経験から言っても、好きな人に振られた時、重要な試験に不合格だった時、こういう時には”悲しみ”を感じる。
あるいは、
悲しみは、愛から喪失による分岐をした感情である。家族が亡くなったときや、別れて会えなくなるとき人は悲しみを感じる。愛の対象を失うことが悲しみである。自らが利他的行為を行う対象を失うと、悲しくなるのである。
出典元:引用-Darwinism Psychology
と定義されている所を見ると、悲しみという感情は、愛の派生感情であり、
”興味⇨愛⇨愛の喪失⇨悲しみ”
といったプロセスを辿ることになる。
直感的に、この説明にピンとこない人は稀だと思う。というのも、”人”や、”物”など、”思い入れ”や”執着”がある対象が失われた時に生じる”悲しみ”は、誰もが経験したことがあるだろう。そして、悲しみは、愛(=執着)がなければ発生しない。ということは、単純に物を失うだけでは、悲しみは発生しないと言える。
以上を踏まえると、「執着している対象が失われた時に生じる感情」という定義が現状最も適切に悲しみを表していると考えられるのだ。
悲しみには種類がある
続いては、悲しみの種類について触れておく。結論については冒頭の通りだが、この根拠を示しているのは、同志社大学の白井氏と鈴木氏が執筆した”悲しみ場面の分類と構造”という論文である。
この研究で明らかにされている点は2つ。1つは、悲しみ喚起の場面が6つに分類されたこと。もう1つは、その6つの分類からら、それらの特性を見極める2次元の要素が導かれたと言うことだ。文献からその詳細を引用すると以下の通り。
悲しみを喚起すると思われる場面 は,“死別・喪失”,“自己目標の達成失敗”,“恋愛に お け る 別 離 ”,“ 家 族 の 不 和 ”,“ 孤 独 ・ 一 人 ぼ っ ち ”,“自己の怪我・病気”の 6 つに分類することが妥当で あり,それらの場面は“対自己‒対他者”と“対処可 能‒対処不可能”の 2 次元で概ね説明できることが明 らかになった。
この引用で言われいてることを図示すると下記の様なマトリクスで表現できる。
”悲しみ”と”失望”の違いは?
と、ここまでの情報に関しては、概ね納得できるのだが、1つだけ気になることがある。
”目標達成の失敗”は悲しみ原因になり得るのか?という事だ。なぜなら、進化論的には、”目標達成の失敗”の際に生じる感情は悲しみではなく、失望であり、悲しみは愛情の喪失、失望は希望の喪失と明確に区別されている。なおかつ、失望を生じる際の事例として、”入学試験に落ちる”ことを挙げられており、これは明らかに目標達成の失敗に該当すると考えられる。
ただし、先の文献においても、
“失望”は,希望が挫かれた時に 生じる感情とされており,病気や怪我など不慮の要因 により生じる悲しみと共通する点があると考えられる。
と述べられている事から、失望と悲しみには共通部分も多く、両者の違いという観点については研究の余地ありといったところなのだろう。
ここからは僕の仮説だが、下図で言えば、個人的にはパターン①が両者の位置付けだと思うのだが、この論文から判断するとパターン②の”失望は、悲しみの一部”とい表現が正しいのかなと。あるいは進化論的な立場からすればパターン③なのかもしれない。あるいは、失望という感情の研究から悲しみを捉えるとすれば、パターン④の様になるかもしれない。
そう結局、答えは”わからない”のだ。ただ、現代の心理学的な考え方から言えば、これらの感情を”あり”か”なし”かで考えるよりは、悲しみと失望は共通部分があるのなら、どちらの度合いが強いかという特性論的な考え方を採用するのが望ましいのだろう。
というわけで、今回のエントリーは、悲しみについてであるため、この考察についてはここらで一旦打ち止めしておく。
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