今回は、精神分析の理論を理解したい方向けに記事を残しました。
過去に、『精神分析的心理療法』についてのエントリーを書いたのですが、みなさまご存知の通り、精神分析的心理療法は,フロイトによって神経症患者の研究を起源とした,精神分析学の理論に基づいて行われる心理療法のことです。
なので、精神分析を理解する上で、理論と実践とは分けて考える必要があります。ということで、このエントリーでは、その『理論』についての理解を深めていきたいと思います。
精神分析の骨子は過去志向と無意識志向
それでは、順を追って述べていこう。
見出しの通りですが、精神分析の基盤となる考え方は、過去志向と無意識志向の2つです。過去志向とは、人間の性格が幼少期の体験に依拠するという考え方で、無意識志向とは、人間のあらゆる行動の原動力は無意識にあるという考え方です。
そして、無意識志向は、局所論を前提としてます。局所論についての説明はこの記事ではしないため、詳しく知りたい方は⬇︎⬇︎を参照ください
人間の本能の内訳
話を戻します。
以上を踏まえ、精神分析では、人間を本能のかたまりとみなすのだそうです。そして、人間には行動を内から動かす原動力が備わっていると考え、それが『本能』というわけです。ちなみに、最近は、『本能』のことを、『欲動』や『欲求』と言った方が適切かもしれません・・・
そして、『本能』の構成要素は、生の本能と死の本能によって分けられるのだそうです。
こんな感じですね。人が生まれながらにして『本能』があり、その中には生の本能と死の本能がある。
また、この生の本能が『リビドー』であり、死の本能が『タナトス』と言われたりもします。
この生の本能と死の本能について説明は、下記の説明がしっくりきたので引用しておこうかな。
生の本能とは自己保存本能、生殖本能を含む建設的傾向である。死の本能とは自他を破壊して一切を無に帰せしめたい傾向である。但し、自殺願望とか他殺願望のようなナマナマしいものだけを意味しているわけではない。知性もそうである。知性には分析(破壊)の要素があるからである。生の本能だけが好ましいもので、死の本能はよくないものともいえない。たとえば自己保存のためには食べねばならないが、食べるためには歯でかまねばならない。歯でかむとは死の本能である。つまり破壊・攻撃だからである。 また、子どもが不当な扱いを受けているとき親は、外界に挑戦していくが、この場合子どもへの愛(生の本能)を実現するために、死の本能(挑戦)を発動しているのである。したがって、生の本能と死の本能の調和的共存が好ましい状態といえる。
(引用:カウンセリングの理論 国分康孝より)
本能の所在
はい。
これで本能の存在と、それがどういったものかわかったと思います。
では、
ここで思い出してください。精神分析の骨子は、過去志向ともう1つはなんだったでしょうか?
無意識志向でしたね。
無意識的志向とは、人間のあらゆる行動の原動力が無意識と考えるので、それらの所在はど子でしょうか?
当然無意識という事になりますね。
では、人間のあらゆる行動の原動力とは何だったでしょうか?
これが、本能です。
つまり、『本能の所在は無意識』ということになります。
本能の動き
では、本能はどのように機能するのでしょうか?
精神分析では、人間が自己充足のため、これらの本能(欲動や欲望)を表出すると考えるのです。そして、その様な、『したい・やりたい』などの欲求を快楽原則と呼び、これに対し、社会の規範やルールのことを現実原則と呼びます。
ここまでの話を図にするとこんな感じでしょうか。先ほどのイメージの続きですね。
※SEOの都合上、徐々に更新予定。