【書評】感情/ディラン・エヴァンズ 〜感情を制御できない人へ〜

感情 ディラン・エヴァンズ

 このブログでは、”人間関係”や”コミュニケーション”を扱ってるわけですが、そういうものを円滑にするためには、”自分を理解して相手を理解してその上で接し方を考える”ことがだ大事だと僕は常々思っている。そして、その自分と相手を理解するために最近、”性格”について考えを巡らせ悶々としていたわけですが、

 そんな中で、どうやら性格というのは、行動の一部であり、性格とは、その人に特有の感情と意思の傾向と言い表せるようなのだ。つまり、この”行動”という概念を少なくとも今ある情報で究極に単純化するのであれば、

行動=状況+性格(感情+意思傾向)

ということになる。性格の一部が感情なのであれば、”感情”を理解することで、僕自身の人間関係に還元したいという思いから、この本を手にとったわけだ。

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どんな本か?

私が望むところは、情動がいかに働くかについてより多く知ることによって、少しでも、私たちが、より惨めな生活ではなく、より豊かな生活をおくり得るようになるかと言うことである

これは、本書の著者である、ディラン・エヴァンズがまえがきで述べていることなのだけど、まさしく、”自分と相手を理解し、その上で接し方を考える”という行為の先にある僕が望む状態だったわけです。

こういう想いを念頭に、ディランは本書を進めていくのだから、少なくとも今現在、惨めさを感じていたり、豊かな生活がおくれていないと感じる人には、それを解消するための”ヒント”が転がっているように思う。なので、以下の項目のいずれかに、あなたのセンサーに反応したなら、かなり手軽に読めるので目を通す価値はある。

  • 感情の概要や種類を知りたい
  • 感情をコントロール術を知りたい
  • 感情の役割や機能を知りたい

と、これらの背景を念頭に、ここらかは、僕のセンサーに反応した箇所に解釈を交えて本書をご紹介していきたい。

基本情動と文化的に特異な情動

ディランは、情動の大枠を次の様に述べている。情動には、主に、基本的情動と文化的に特異な情動があり、前者は、生得的かつ普遍的であり、人間が至るところに置いて直面する根本的な難題に、私たちが対処するのを助け得る機能がある。具体的には、喜び・悲痛・怒り・恐れ・驚き・嫌悪が、この基本的情動にあたる後者は、学習的であり、人が自ら住まう文化の特定の要求に対処することを助ける機能があると述べている。つまり、その文化に特有の物であるという意味だが、その例として、”ニューギニアのグルルンバ族の人たちが感じる情動”をあげている。これは、”猛々しい野生豚になる”状態として知られているそうだが、詳細は、リンク先に譲る。

大事なのは、”程度”という視点を持つこと

 ただし、ここで誤解してはならないのは、単純に全ての情動がこの両極端に属すると考えてはいけないのだという点をディランは指摘している。

私たちは、本当のところそれが生得的か否かではなく、むしろ、どの程度生得的かを問うべきである。

これは、性格特性論と類型論的な発想に通じるものがある。つまり、恐れや怒りなどの基本的な感情と、”猛々しい野生豚の状態”をもたらす文化的に特異な感情は、両極端なものにすぎず、それ以外の情動は、それらの中間に位置するものがほとんどなので、それを見極めることこそが重要であると訴えているのだ。

そしてここからは僕の意見だが、この”程度”という感覚は、それが性格にしろ感情にしろ、人と付き合う上で重要なことのように思う。なぜなら、相手の性格や感情が”どの程度なのか”という視点を持つことは、その相手を唯一無二の個人として捉えることになるからだと僕は考えている。というのも、僕は過去に、営業にやナンパをしてたことがあるのだが、両者に共通しているのは、成果を出すために、ある程度”母数”を作業的かつ効率的に増やす必要があるということだった。で、そうやって経験を積むと、自分の中で相手のタイプのふるい分けができるようになってくる。例えば、「タイプAには、Xというアプローチで、タイプBにはYというアプローチでいこう」的な発想ですね。それでまあ、結果が出ようものならこの機械化がより一層進んでくわけです。そしてそれは、”結果主義”という視点から考えれば、決して悪いことじゃない。ただ、そういう誰にでも通じるようなアプローチというのをよく思わない人がいるということが問題なのだ。つまりは、”心がない”ように感じてしまうのだ。だからこそ、この”程度”を考えるということは、人間関係において非常に重要な要素になってくる。

感情を進化論から考える

本書の2章でディランは、情動の進化史を探索し、情動がかつて生存に欠かせないものであったこと、あるいは、今尚そうであることを主張している。要は、進化論的な観点から情動について述べている。

罪悪感、愛情、復讐心の進化

 ディラン曰く、罪悪感、愛情、復讐心などの高次認知的情動は全て、非常に有用な機能を果たすらしいのだが、その中でも僕が気になったのは、”復讐心”だ。

もし人間に復讐心がなければ、いとも簡単に他者から利己的に食い物にされてしまうだろう

ということは、進化論的に言えば、”復讐心”がないと、割と早い段階で命を絶たれるということになる。つまり、復讐心は、人間関係においてバランスをとる上でも重要なのだ。今でこそ、そんなことはないが、僕はどうやら道徳観というか正義感が強かったようで、昔は「やり返すのは、悪いこと」のような感覚を、家庭とか学校とかで刷り込まれいたように思う。しかし、人間関係について言えば、その一方的にやられ続けるのを我慢するっていうのは、結構危ない感覚なわけで、往々にして不健全なことが多い。セクハラとかパワハラとかいじめとかね。でも、こういう道徳観に苦しめられてる人って、割と多いと思うのだけど、復讐心っていうのは人が生きる上で必要な感覚だから、これまた適切に養っていくべきだと思う。ただし、この適切にっていうことが重要になってくるわけです。

 情動の最適な状態は、それが少なすぎることも多すぎることもなく、適切な範囲内にとどまっている時に具現されるのである。

 情動的に聡明な人は、いつ自らの行動を制御すれば良いのか、またいつ情動の成すがままに振る舞えばいいのかを知っている

復讐心に任せて誰にでもやり返したら命がいくつあっても足りないし、その方法についても度がすぎると刑務所行きになるだろう。だから、それぞれの情動は「適切に」養うべきなのだ。

感情コントロールの方法について

ディラン曰く、人間は、主に良い人間関係を得て、維持することにより、その幸福感を得られるはずなのだが、ディランは次のように述べ、その具体的な方法をこの章では取り上げている。

私たちはもはや自らの遺伝子を伝えることに寄与することをする必要はないのである。

情動と気分

その具体的な技法を紹介する前に、まずは情動と気分についての違いを理解しておかなければならない。以下、本書より引用。

気分は情動より長く、通常は、数分から数時間持続する。気分は私たちの情動的な刺激に対する感受性を引き上げたり引き下げたりする背景的な状態である。

つまり、気分は、情動に拍車をかけるプラスαということになろう。スポーツに例えるなら、情動=プレーヤー、気分=サポーターのような関係だと言える。観客の声援によって、選手もやる気が上がったり、下がったりする。あるいは、人間関係で言えば、話し手(=情動)の勢いは、聞き手の相槌(=気分)の有無によってその勢いは変わってくるだろう。リアクションを大きくとれば、相手の話を促進することができる。

”気分操作”

気分と情動の違いがわかったところで、具体的な技法について触れたいのだが、ここでディランが取り上げているものは、あくまで”気分操作”であるということをまずは理解して欲しい。

視覚と聴覚

 ディランは、気分操作の技法として、”五感”に訴える方法を述べているのだが、その中でも、特に、視覚と聴覚が人間においては発展していると言う。

赤と青は同じような情動的効果を持た生み出す。人は赤い光にさらされている時、血圧が上がり、呼吸や脈拍が早くなる。青い光には、反対の効果がある。人は赤い部屋において、より暖かく感じるが、より神経質で攻撃的なものになる。生後2週間の赤ん坊も、赤い光よりも青い光の中でより容易になだめられる。このことは、私たちの色に対する情動的反応の少なくとも一部が生得的であるということを示している。

本書内では、より具体的な実験を取り上げているが、とにかく僕たち人間には、生まれ持って方向付けされる色彩がどうやらあるようだ。

 様々な色が、心地よいイメージを生み出すように、多様な周波数を有する音も、また魅力的なメロディーを生み出し得る様アレンジされる。近隣のアパートや、電車でたまたま隣の席に乗り合わせた人のイヤホンの音漏れや、繰り返しの多い音楽にさらされると、人は概して苛立った気分になることを今日でほとんどの人が知っている。こうした音楽が、常に、即座に人を激怒させるとは限らない。むしろ、それは徐々に人を嫌な気分にし、そうした中で人はちょっとしたことでより怒りやすい状態になるのである。

ここから言えるのは、自身の情動を少しでもポジティブな方向に傾きやすい状態にするためには、視覚や聴覚を用いて気分操作を施しておくことが非常に重要だとわかる。ちなみに、この書籍の表紙の色は、”赤”なのだが、僕がこの本を手に取ったのも無意識に気分誘導が行われていたのかもしれない。

身体的技法による操作

 別の気分操作の技法には、”身体的技法”といったものもある。ここでのメッセージはこうだ。”情動は、悲しいから泣く、おもしろいから笑うといった1つの経路だけではなく、泣くから悲しい、おもしろいから笑う”という少なくとも2つのパターンが存在するのだということが1つ。そして、人間のこの特性を理解した上でトレーニングを積めば、他の気分操作に比べより安全かつ、効果的なものであるということだ。

もし私たちが自らの望ましからざる情動的傾向を抑制したいのであれば、根気よく、まずは冷静に、私たちがそうしたいと思う、それらとは反対の性質を持った外的行動を取らなければならない。眉の位置を平らかにし、目を輝かせ、身体の腹面より背面を引き締め、はっきりとした調子で語り、温和な賛辞を送りでもしてみよ。それでも、あなたの心が次第に和らぐということがなければ、あなたの心は、本当に不感症の頑ななものであるに違いない。

これはまさしく、行動療法そのものだと言えるし、さらに言えば系統的脱感作法なんかも、日々の気分誘導として用いることができるはずだ。

情動は、僕たちの能力にも影響を及ぼす

 この章では、注意、記憶、論理的推論、という三つの認知能力に情動が与える影響を考察してるのだが、それぞれの特徴の中核のみ掬い取ってお伝えしたい。

まずは、注意について。

情動によって私たちの注意が集中しやすくなると述べることは奇妙に聞こえるかもしれない。しかし、情動は私たちが専ら、ある特定の思考に対して注意を払うことができるように、別の思考からは注意を逸らそうとするのだということは、何ら矛盾していない

続いて、記憶

情動を伴った出来事の中核的な特徴は、情動を伴わない出来事がそれよりも記憶されやすく、逆に、周辺的な特徴については忘れ去られやすい

そして、判断について

①対象が人にしろ物事にしろ、その対象に下す判断は、その時の情動や気分に左右される

②その際の気分が不安の場合、その対象をネガティブに見てしまうというよりは、むしろ、より親近感を覚えやすくなる

③良い気分状態にある人は、そうでない気分状態にある人よりも、意思決定のためより長く時間をかけて考えているということだ。

と、それぞれの項目に情動が与える影響は以上の様になっているのだが、ここで言いたいのは、情動や気分を有効活用できるということは、すなわち、自身の日々のパフォーマンスに直結しているということである。多くの人は直感的にわかってると思うのだが、各情動や気分の特性を理解し、かつ、それを実践できるかというと、それはまた別の話だ。

まとめ

結局、”性格を理解するための手がかりとして、感情を捉える”という僕の当初のゴールは達成できていないのだが、著者(ディラン)が言う、”情動がいかに働くかについてより多く知ってほしい”という願いは受け取ることができた様に思う。そういう意味では、僕の求める答えとは違っていたのだけど、感情についての理解を深めることができたので、一歩前進したと言える。

そして、話は変わるが、この記事を投稿するにあたり、”書評や要約”について難易度の高さをひしひしと感じた。人の言うことを理解し、それをわかりやすく他の人にも伝える作業がこんなにも難しいとは思わなかった。今回は、書評・読書感想の書き方を参考にさせてもらいましたが、まだまだ改善の余地があるので、引き続きブラッシュアップしていきたい。書評と要約上手い人尊敬します。

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