共感と同感の違いとは

共感と同感の違い

人とコミュニケーションを図る上で、「相手の話に共感しろ」とよく耳にするけれど、「じゃあ、共感って何ですか?」と質問された時それに答えられる人は少ない様に思う。

そういう僕自身も、この共感という概念に対し理解が浅く、”共感”という概念について改めて考えてみることにした。

※結論だけ見たい方は目次からどうぞ。

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共感とは

一般的なイメージとして、共感について触れておくと多分こんな感じ。

この前、彼女に振られたばかりで、マジ悲しい

めっちゃ、わかる〜

確かに、共感っぽい。共感”っぽい”と述べたのは、僕自身あまり共感のことを理解できていないからなのだが、それをこれから確認していきたい。

”意味”という切り口

まずは、辞書上の”意味”を確認すると次のように定義されている。

他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。他人の考え・行動に、全くそのとおりだと感ずること。同感。 

どうだろう?

直感的な印象でいうと、だいたい先ほどのイメージと合致しているのではないだろうか。

だとしたら、先ほどの会話こそ”共感”と言えるのかもしれない。しかし、これでは話が終わってしまうので、もう少し調べてみると、次の様な定義があったので拝借した。

他人が喜ぶのをみるとともに喜び、他人が悲しむのをみるとともに悲しむというように、他人と同じ感情をもつことをいう。この場合、ある人(他人)がまずある感情を体験しているということが前提条件で、その感情の表出を観察者(自分)がみて、自分も同じような感情を体験することをいう。他人がどのような感情を抱いているかを観察しないで、たぶんあの人は悲しんでいるであろうと自分かってに推測して、悲しんでみせるというのは感とはいえない。また、他人が悲しみの情動を体験しているのを確かに理解できても、自分は悲しくなれないというのも共感ではない。ある人とともに悲しむためには、自分もその人と同じような悲しい体験をしていることが必要ともいえる。親を失った人の悲しみは、自分も親を失って悲しい体験をしたという人によって初めて共感できるというように、ある感情への共感は、その感情についての先行体験が必要条件ということができる。[花沢成一](日本大百科全書より)

これは何か深みがあって、それっぽい事を言っている様な気がする。というわけで、これが正解というわけではないが、この定義を手がかりに、”共感”をもう少し探ってみることにしよう。

共感の構成要素は、”体験”と”感情”

この共感の定義において、僕が注目したのは、花井氏が共感の構成要素を”体験”と”感情”の2つの要素に分解しているという点だ。つまり、この2要素が一致してるのか、不一致かという”視点”を持って考えると少しは”共感”を理解することに近づくことができるのではないだろうか。例えば、以下のように。

共感の分解

この表は、縦軸に感情の一致or不一致を、横軸に体験の一致or不一致をあらわしたものであり、これを1つずつ見ていくことにする。

体験も感情も共に相手と一致しているパターン

冒頭に紹介した、代表例がこれにあたる。

この前、彼女に振られたばかりで、マジ悲しい

めっちゃ、わかる〜

つまり、相手が述べる、彼女に振られた(体験)ことも、それにより生じる悲しい(感情)気持ちも過去に経験があり、それらが自分の記憶に刻まれているという意味である。そして、花井氏の定義に従えば、これこそが共感と言える。

体験は一致しているが、感情は不一致なパターン

ここには、次の様なやりとりが該当する。

この前、彼女に振られたばかりで、マジ嬉しいわ〜

めっちゃ、わかる〜(は?悲しいことはあったけど、嬉しいってなに?)

この場合、彼女(あるいは彼氏)に振られたことはあるが、それにより生じた嬉しいという感情を経験したことがないという場合だ。花井氏が、”他人が悲しみの情動を体験しているのを確かに理解できても、自分は悲しくなれないというのも共感ではない”という様に、これは共感ではないということになる。つまり、彼女に振られて、嬉しいという気持ちになれないにも関わらず、「わかる〜」ということは、共感したふりにすぎない。

体験は不一致だが、感情は一致しているパターン

ここには次の様なやりとりが該当すると思われる。

この前、彼女に振られたばかりで、マジ嬉しいわ〜

めっちゃ、わかる〜(私、彼氏いたことないけど、振られると嬉しいんだ)

相手が言う体験を知らなければ、そのあとに派生する感情など知る由もないが、ここでは、少なくとも、相手が述べる”感情”自体は、過去の記憶として保管されている事を意味する。しかし、実際にその立場を経験した事のない人間が、「わかる〜」と言ったところで、やはりこれも共感したふりに過ぎない。

体験も感情も不一致なパターン

下記の様なやりとりがこれに該当。

この前、彼女に振られたばかりで、乱離骨灰だわ〜

めっちゃ、わかる〜(?????)

言わずもがな共感のふり。彼女に振られた経験もないし、乱離骨灰というワードに適合する感情を持ち合わせていないという事。

とまあ、説明の便宜上、分けて考えてみたが、表の右半分に関しては、おそらく、相手が描写する体験をしていない時点で、その後に生じる感情の不一致を判断することは不可能なので、同じカテゴリーとみなして差し支えないと考えられる。

以上のことから言えるのは、少なくとも花井氏の定義に従えば、表の左上のマス目以外は、共感ではないと言うことになる。

そうすると、

相手が述べる体験をせずして、共感は不可能なのか?

という疑問が生じる。

体験なくして共感することは不可能なのか?

この問いについては、結論ファースト述べておくと、共感は体験失くしてできるものではない。(定義的、花沢氏的な観点による)

なぜか?

この答えの手がかりを見つけるべく、以下の書籍内で杉原氏が述べている”共感”についての考えを拝借する。

”本質的に言って、共感は努力してするものではありません。共感はただ心の中に自然にわいてくるものです。努力してできるのは、共感しているふりだけです”

”クライエントが”年老いた母親に会うのがつらいんです”と言っただけの段階で、「それはつらいですよね。弱っていく親の姿を見るのは子供にとってもつらいものですよね」などと、クライエントの”つらい体験”の中身を自分勝手に決めつけて、”共感的な”コメントをする人がしばしばいます。そういうカウンセラーは、人の内的な体験がいかに他者には計り知れないものでありうるかということを、まるでよく理解していないと言わざるをえない。このコメントによって、カウンセラーは、自分の理解のなさをクライエントに知らせてしまったのです。”

ここで注目したいのは、”共感とは、ただ、心の中に、自然に湧いてくるもの”という部分だ。これを花沢氏の定義と混ぜ合わせると、僕の解釈はこうだ。心の中に自然に湧いてくるものが共感なのであれば、そのためには、相手が述べる体験とそれにより生じる感情がを自分が有している必要があり、相手からの情報によってそれが、想起されるということだと言える。そして、先ほどの表で言えば、”自然に心に湧いてくるという”表現に合致するのは左上のマス目だけだ。

しかし、相手が自身の体験と感情を描写した直後に、同様の思いが自分の内面に自然と湧いてこなかった場合、どうすればいいのだろうか?

これに対し、杉原氏は別の書籍内で、次のようにも述べている。

共感は、個人の境界線を越えてあなたと私の間に響き合う心の現象、つまり、「人と人とが関わり合い、互いに影響し合うプロセス」のことなのです。ですから、共感は、ただ相手とぴったりと同じ気持ちになることを指すわけではありません。むしろ、互いの心の響き愛を感じながら関わっていくプロセスであり、それを促進していくための注意の向け方や表現の在り方などを指すものです。

”共感が深まる”とは、相手の気持ちと自分の気持ちとの境界線がぼやけることです。あるいは、相手の気持ちと自分の気持ちとが出会い、相互作用することです。

杉原氏のこの表現は、かなり経験値が加わった特有の表現になっている様に思うが、ここで言う”プロセス”や”境界線がぼやける”という言葉には、かなりハッとさせられた。

というのも、花沢氏の定義する共感とは違い、杉原氏は、共感をより大きい概念として捉えていて、”共感=プロセス”と言うからには、仮に、話者が述べる経験や感情が自然と浮かんでこなかったとしても、相互作用によって共感することが可能であると言っているのだ。そしてそれは、話し手と聞き手の境界線がぼやけることにより生じるからだと言っているのだ。

故に、杉原氏の見解に立つならば、”体験失くして共感することも可能である”ということになる。これは、花沢氏の立場に反するものであるが、僕自身は、この杉原氏の意見に賛同する。なぜなら、実際に相手の言う体験をせずとも、その体験から生じた感情をあたかも自分がしたかの様に体感することがあるからだ。そのための方法については、下記のリンクに具体例があるので、参考になる。

共感と同感の違い

共感と同感。違いは何?

同感とは

さて、ここまでで、”共感”という概念を少しは理解できた様に思われる。しかし、目の前にある事象を理解しようとするとき、ある一側面のみからそれを眺めているだけでは、絶対に理解することはできないのだ。

という訳で、次は視点を変えて、”共感”に似た意味をもつ、”同感”という概念を切り口にして共感について考えてみたい。

同感については、辞書を引いてみると次の様に定義されている。

同じように感じること。その意見や考えに賛成であること。また、そのような意見や考え。

これを共感の定義と照らし合わせてみると・・・・

他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。

めちゃくちゃ似てて使い分けがよくわからない。

英語表現で捉え直してみる

この手法、日本語の違いがわからないとき、僕はよくやるのだが、新たな発見があったりする。というのも、心理学では、言語にその国の”考え方”や”物の見方”が反映されていると考えるからだ。

というわけで、同感と共感をそれぞれ英語に変換すると次の様になる。

同感⇨agreement

共感⇨empathy

これに反対語も加えてみると以下の通り。

agreement (同感)⇦⇨disagreement(反対)

empathy (共感)⇦⇨antipathy (反感)

どうだろう?何か気づきはあっただろうか?僕が思うに、”同感”と”共感”って、日本語で表現すると、すごく似てるのだが、英語にすると、全く異なる単語に変換される。つまり、欧米圏の人間は、これらを全く異なる単語として捉えているということではないだろうか?だから、これは僕の仮説だが、欧米人に「agreementとempathyって似てるよね?」って英語できいたら「は?何言ってんの?」的な返答がある様な気がする。

つまり、共感と同感はやはり別物であるということを念頭に、思考を進めねばならない。

”disagreement”から”同感”を捉え直す

続いては、agreement(同感)の対義語であった、”disagreement”を手がかりにして思考を進めてみる。ここでまず注目しなければいけないのは、disagreementを日本語訳すると、”反対”という意味になる点についてだ。そして、反対の対義語は、日本語では”賛成”なはずである。一瞬、ハテナマークが頭に浮かぶが、つまり、欧米人は、同感≒賛成という意味合いで捉えているのだと考えられる。そして、”同感”の定義にも、”賛成”という言葉は含まれているのだ。

同じように感じること。その意見や考えに賛成であること。また、そのような意見や考え。

では”賛成”ってどういう意味なのか?という話になるわけだが、

人の意見や行動をよいと認めて、それに同意すること。

この様に表現されている。

なるほど。この定義により、共感と同感の違いがわかった様な気がしてならない。感の

良い方なら、もっと早く気づいてたのかもしれない。これは性格を化学する小塩氏も述べているが、物事の良い・悪いなんてものは、文脈や自分の置かれている立場によってコロコロ変わるものだ。つまり、同感という表現には、かなり聞き手の主観が入り込んでいるというわけだ。ということは、ニュアンスは弱いが上から相手を値踏みして評価してるとも言える。カウンセリングにおいて”同感”という言葉が使われないのはきっとこういうことなのかもしれませんね。

結論 〜同感と共感の違い〜

ここまで長い文章を書いたのは久しぶりだが、おかげでかなりスッキリした。共感と同感の違いは、共感をする側(聞き手)の価値判断が含まれるか否かである。共感は、価値判断を含まず、同感には、価値判断が含まれる

その上で、共感を定義するならば、共感とは、相手の体験とその際に生じる感情に近づこうとする行為、プロセスであり、そこに価値判断は含まれず相手を理解するための手段と言えるのではないだろうか。

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