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勘違いさせる力とは普通に”実力”だと思う件

勘違いさせる力
”勘違いさせる力”このテーマは、前々から取り上げたいと思っていたのだが、下にある書籍がブームになってるのをいいことに記事にすることにした。
それと最初に言っておくが、僕はこの書籍を読んでいないため、この本の内容には一切触れない。「じゃあ、なんでこんな紛らわしいタイトルとトップ画にしたのか?」と問われれば、
無論

勘違いさせるためである。
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勘違いとは?

ここで、見事に勘違いしたあなたはもしかしたら、勘違いをさせる力が意味することの片鱗を掴んだかもしれない。「え?最初からわかってたけど何か?」とドヤ顔を決め込んだ反抗期の長いあなたには、もはや僕に伝えられることは何もない。さっさと立ち去ってくれ。

とりあえず、話を戻したい。”勘違いさせる力”とは何か?という話。それを知るためにはまず、”勘違い”という言葉の意味を明らかにしなければならない。辞書では次の様に定義されている。

勘違いとは、物事をうっかり間違って思い込むこと

ということは、勘違いさせるとは、物事を間違って思い込ませることとだ。”させる”ということは”意図的に”という意味合いを含んでいるため、”うっかり”なんていう言葉が当てはまるはずがない。そして、”勘違いさせる”という言葉の主語は、勘違いをさせる側、”勘違いする”という言葉の主語は、勘違いをさせられ側なのであり、勘違いというのは、この両者の存在により成立する現象だと言える。つまり、”勘違いさせる力”とは、この状態を再現させる力ということになる。

勘違いさせる”力”と銘打ってる以上、それは”スキル”だ

打率が2割にせよ、3割にせよ、再現性がある以上、それは”スキル”であり、”能力”なのだ。そして、その能力を駆使してあなたが、”勘違い”を再現できたのなら、それはあなたの実力なのだ。つまり、この著者および、出版社がやっているのは、”勘違い”のスキル化なのだ。となると、ここで先ほどの書籍にもう一度立ち戻りたい。あなたは覚えているだろうか、あの書籍のタイトルが一体どんな表紙だったのか?ということを。

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

え?まだ実力で勝負とか言ってるの?

お気づきだろうか。この表現では、勘違いさせる”力”と言っておきながら、それが、”実力ではない”と言っているのだ。加えて、後半のセリフがそこに拍車を掛けている。これは僕の主観になるが、”実力”と言われると、”長い時間をかけ、磨き続ける必要があるもの”というイメージがある。一方、それを区別した上で、”勘違いさせる力”と言われると、より”短時間かつ手軽にできるもの”というイメージを受け取ってしまう。

つまり、この書籍の作成者が、この本を手にとった人に与えたいメッセージは、「人を勘違いさせたら、楽して結果が出せますよ。実力と違って」ということに近い。極端に言えば。しかし、僕が先ほど述べたように、”勘違いさせる力”は、能力であり、そこに結果が伴えば”実力”なのである。と言うことは、この本の表紙から、購買者予備軍への”勘違いさせる働きかけ”はすでに始まっている。故に、「楽して評価されたい、結果出したい、金稼ぎたい」みたいな思いでこの本を買ってしまったとしたら、その時点で、すでに勘違いの罠にはまっているのだと思う。

なぜ、勘違いの”スキル化”に至ったのか

僕はその根本に、”ネット情報の普及”があると考えている。というのも、この人は、表紙から察するに、おそらく”ブロガー”だろう。であれば、”ブログ”というネット媒体を使って誤解を起こす専門家なのではないか?と考えるのはごく自然な流れだと思う。そして、ブログないし、SNS、ネットニュースetc、そういった情報は特に、誤解を起こしやすいツールなのだ。なぜなら、自分にとって都合の良い部分的な側面のみを、切り取って情報発信しやすいからだ。

例えば、タレントの”一部分の発言が切り取られて”yahooニュースなんかでで取り上げられ炎上したということはよくあると思うが、その発言の文脈を共有した場合とそうでない場合で同じニュースを見ると全く印象が異なるといった体験をしたことはないだろうか?ひどい時には、意見が180度変わるなんてことも珍しくない。それこそが、勘違いさせられてる状態だと言える。

だから何?

そう、これ。「で、結局あなたは一体何が言いたいの?」と問われれば、僕の答えはこうである。第一に、勘違いさせる力は結局”スキル”なので、磨き続ける必要があるということ。だから、楽して一発で結果を出そうなんていう甘い考えを持ってる人間は、きっと一生勘違いさせられる側の人間だ。この著者にしろ、成功しているタイプの人間の発想は、「楽して一発で結果出してる人間に思われる様に頑張ろう」である。第二に、勘違いさせる力を磨く場面は日常に転がりまくってるということ。勘違いをさせるためには、まず自分が勘違いをしているということを理解することから始まる。だから、ある意味、このブログのタイトルと画像にに釣られたことも間違いではなく、冒頭で、「見事に勘違いしたあなたはもしかしたら、勘違いをさせる力の片鱗を掴んだかもしれない」と述べたのはそういう意味である。

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