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なぜ意図を読めないと、問題視されるのか?

ここまでの定義をもとに、この議論について考えてみたい。

意図を読めない奴は、無能だとか、意図を読めない奴は頭が悪いとかなんでそんなに意図がどうこう言われるに至ってるのか?

そのプロセスを少し考えてみたい。

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問題化

この様な目に見えない問題を考えるとき、その問題に関わる登場人物を考えてみると、当然、”意図を読む人”と”意図を読まれる人”がこの問題に絡んでるとわかる。この関係性を考慮し「意図がよめない事の問題化」を捉え直すと、どうやら意図を読まれる立場にいる人間から意図を読む側に対しての提言だとわかる

関係性を考察

このままだと、少し抽象性が高いため、意図を読まれる側の人間と意図を読む側の人間との関係性についてもう少し具体的に考えてみたい。すると、この関係性には何か、意図を読まれる側の”優位性”とか、2者間の”上下関係”みたいな印象を受け取らざるをえない。つまり、コミュニケーションが一方向的なのだ。コミュニケーションというのは、お互いが寄り添って成立するにも関わらず、「これだから察しの悪いやつは」というのは何か違う。それを言うあなたも察しが悪いのではないかと言いたくなる。僕から言わせれば、もの凄くおこがましい。なぜなら、その様な発言の裏には、他者へのコントロール欲求が含まれてるからだ。つまり、他者が自分の都合よく動いてくれれば「察しがいいし」、そうでなければ「察しが悪い」というわけだ。

具体例

具体的な例として、共感して欲しい女と察しの悪い男、自分の指示通りに動いて欲しい上司と自分の考えがある部下、客と店員etc…..などがあるだろうか。

ここでは、面白いので、”共感して欲しい女と察しの悪い男”についてを扱うことにする。この抗争は説明不要だと思うが、女が男に愚痴や悩みを話すと、男はそ解決するための提案を返すってやつだ。女は、ただ話を聞いて欲しいだけだとういうのに。

そして、この”察しが悪い”という部分が、女から男への苦言であり、「意図が読めないことの問題」にあたるわけだ。

どういうことか?

これは、僕が再定義した”意図”の意味と照らし合わせるとよくわかる。

“意図”とは、何かをしようと考えてる事柄であり、「何かをしたい」と表現する感情とは区別される。感情は意図に先行して発生し、意図は行動として現れる、その行動は目的を達成するために存在する。故に、意図とは、目的を達成ために存在し、目的をどのように達成するかを考える事柄だと言える。

つまり、女の目的は、”不快感やわだかまりの排除”であり、そのための方法が”共感して話を聞いてもらうこと”であり、目的達成までの具体的な方法が描かれてるわけだ。にも関わらず、男は、”解決策を提案する”という愚行を選んでしまう。この状況は、女にしてみれば目的達成を妨害されてるに他ならない。女が買い物に行こうとしたら、工事で遠回りをさせられてるのだ。そりゃ腹がたつよ。そう、僕を含めそのような愚行を選択してしまう男性のみなさま、我々は、通行人の邪魔をする工事と同じ扱いを受けてるのです。今すぐに改めましょう。

結論

というわけで、”なぜ意図を読めないことが問題視されるのか?”に対する回答は、目的の遂行を阻害するからだと言える。

これは、先にあげた上司と部下の関係にも、客と店員の関係にも当てはまる。社会において、主従関係とか上下関係があると生じやすくなるのだろう。

とまあ、心情はやはり、どちらか一方が意図がどうこう言うのはおかしいと思うのだが、相手の意図を読み解く力は必要だと思う。その理由は、相手の意図を理解すれば、要望を満たすこともできるし、相手の思い通りにならない様に動くこともできるからだ。

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